深淵から見えた

白衣の堕天使。精神科→外科。

愛こそ全て、信じ給え

 

私は多動で学級崩壊を招く子供だったが、

天才少女だった。

 

と、言うのも小学1年生で

英検3級まで持っていたからだ。

 

今では語学なんてからっきしだが

当時は年齢の割にバイリンガルな少女。

イギリス人のおじさんと仲良くなったりした。

 

都会の事なんて知らない。

ただ、田舎では天才少女として噂された。

 

両親は私に期待した。

 

だが、

私はその期待に応える事が出来なかった。

 

小学2年生の時、準2級に落ちた。

それから英語を読むのも聞くのも嫌になり

英語から逃げ出した。

そんな私に両親は失望した。

 

 

 

恋人には兄がいる。

兄は成績優秀、スポーツ万能。

 

幼い頃から野球で成果を挙げ、

中学は有名私立に進学。

甲子園出場も果たした。

 

比べ、弟の恋人は

兄の背中を追いかけ

野球を始めるも上手くいかず

勉強もそこそこ。

 

彼の両親は兄の遠征のために

家を空けることが多く、

彼はいつも一人ぼっちだったと聞かされる。

 

彼は決して言わないが

寂しかったのだろう。

 

兄は消防士になった。

彼も消防士を目指したがなれなかった。

 

彼の耳には兄と同じところに

ピアスホールがある。

 

兄の事が好きなんだろうと、

普通の人は思うかもしれない。

 

けど、私は

彼は兄のようになりたかったのだ

兄のようになって愛されたかったのだと思う。

 

 

 

私達はどこか似ている。

だから惹かれ合うのかも知れない。

 

私達は愛されたかったのだ。

無償の愛が欲しかったのだ。

 

愛の対価とは何だ。

 

愛の対価とは、

愛する相手の笑顔や幸せではないのか。

 

お金や功績を対価とするなら

愛ではない。

 

期待通りになれなかったからと言って

見捨てるのは

愛ではない。

 

愛するとは難しい。

だが愛とは美しい。

逃避行

 

逃げて来た。

中学時代にいじめられて不登校になった。

高校時代にいじめられて保健室登校になった。

社会人になっても人間関係で悩んで自傷

退職した。

 

私は逃げてばかりいた。

 

逃げることは悪い事じゃない。

死ぬくらいなら逃げればいい。

 

簡単に人は言うけれど、

逃げた末に待っているのは

死んだように生きる日々だ。

 

転職しても私は逃げた。

思うようにいかない業務、冷たい視線。

私は体調を崩し、

それを理由に仕事へ行かなかった。

 

今日、看護部長と面談した。

 

「普通は」「普通に考えると」そう連呼された。

「普通って何だ」

それの言葉が喉元まで出かかった。

 

「あなたは仕事ができない訳じゃない、

仕事はできるのに

仕事に来ないのはどうして?」

と言われた。

 

はっとした。

この職場に愛着もなければ

この職場で目指すものもない。

ただ、次引っ越すまでの繋として選んだ職場。

そこで少し思うように行かなかった

ただそれだけの理由で逃げていた。

 

一昨日、職業紹介所に行った。

居心地が悪くなったので転職しようと思った。

でも、突きつけられたのは

資格があるだけで学歴もない人間が

何度も転職を許される世界はないという現実。

 

ここで逃げたら

私はどこへ行っても同じ事を繰り返す。

 

少しうまく行かなかっただけの所で

踏ん張っていたら

こんな状況にはならなかった。

全ては私が蒔いた種。

 

逃げることは決して悪い事じゃない。

それは、

生きるか死ぬかの選択に追い詰められた時の

最終手段。

 

私はまだ本気で死ぬ決心をした訳では無い。

逃げるにはまだ早い。

 

 

真っ白な病室の窓の向こうには

 

 

8月

 

待ちに待ったその日が来た。

 

真夏の精神病院

 

その日はいつも通りの時間に起きて

おめかしをして

「佐々木さん、調子が良さそうですね」

なんて看護師さんから

声を掛けられるくらいには

晴れ晴れとした表情をしていた。

 

15時くらいに病室に聞こえるくらいの

バイクのマフラーの音がして

私は病室から駆け出した。

 

面会票に戸惑いながら名前を書く

彼の姿が目に映る。

 

お盆休みを明けて

6時間もバイクを飛ばして

関西から会いに来てくれた

 

泣きながら電話した夜もあった。

 

私は彼に飛びつきたい衝動を抑えて

看護師さんに面会室の鍵を開けてもらった

 

面会室で

どうして私がこんな事になったのか

どうして私がこんな所にいるのか

そんなバカげた話をするでもなく

ただ冷たいコーヒーを飲みながら

他愛のない話をした。

 

1時間くらいだっただろうか

長くいる所でもない

彼は帰路につこうとした。

 

私は笑顔で見送ろう

心配させないようにと試みた

 

しかし、彼の手が頬に触れた途端

涙が溢れた。

 

面会室の中で誰も見ていないのが幸い

彼の胸で泣いてしまった。

 

 あの時手を差し伸べてくれなければ

私は這い上がれなかったに違いない

 

そんな年の瀬。 

 

波の随に願って

 

私の大好きだった祖父は癌で亡くなった。

 

「家族と最期の夏を」

そう望んで

オピオイドで疼痛コントロールしながら

自宅で数ヶ月療養した

 

何の知識もない12歳の私が

祖父の背中にフェントステープを

貼っていたことを覚えている。

 

 

 

それから丁度10年が経った。

 

外科病棟で看護師として働いているが

たまにターミナルの患者さんを看る事もある。

 

そんな私は

恐らく、看護師人生で忘れられないような

出会いをした。

 

外科に配属されて2ヶ月になる頃

仕事が上手くいかず

病棟に行くのが嫌になっていた。

 

しかし、ある患者さんの部屋に行くと

心が楽になった。

 

その患者さんもまたターミナルだった。

 

恋人が昇進せず

結婚の話もできなくて焦っている時

励ましてもらった。

 

潜水艦にも汽笛がある事を初めて知った。

 

彼は自宅に帰りたがっていた。

 

私は彼を

祖父と重ね合わせていたのかも知れない。

 

拙い知識と技術で懸命に看護した。

 

何としてでも最期の希望を叶えたかった。

 

だが、それは叶わなかった。

 

ある冷たい雨の降る日の早朝

ついにその時が来てしまった。

 

進行していく病状で

苦しそうに笑う彼の笑顔が

目に焼き付いて消えない。

 

ああ、

祖父もこんな風に笑っていたのか。

 

名前だけの看護師なんて要らない。

 

知識も技術もない奴には誰も助けられない。

 

もっと知識があれば

技術があれば

然るべきタイミングで

彼を家に帰す事が出来た筈だ。

 

悔しさと申し訳なさで胸がいっぱいだ。

 

緩和ケアがしたい

もっと勉強したい。

 

 

 

 

 

 

未来づくり

 

ガラスの割れる音

怒声

何かが壊れる音

鈍い音がした後

痛みに咽び泣く声と

襖の隙間から漏れる

蛍光灯の光

そして、

不安と恐怖で眠れない夜

 

いつだっただろう

あれから何年経っただろう

昨日の事みたいに

瞼の裏に焼き付いている光景

耳の奥にこびり付いている音

 

 

 

大切に想う人のあたたかい胸の中で

目が醒めた

頬が濡れている。

 

大丈夫か?

心配そうに声を掛けられて

ああ、夢だったんだと

現在に引き戻される。

 

もう何度こんな夜を過ごしただろう。

 

愛されている

愛している

一緒にいられてとても幸せな筈

 

なのに

一緒にいると思い出す

 

ああ

私はひととき

幸せになる事も許されないのか

一生逃げられないのか。

 

 

 

父と母は愛し合っていた筈

なのに

何故お互いに追い詰め合うのか

何故私は

あんな思いをしなければならなかったのか

 

私たちもああなるのか

 

もしそうなら

もう消えてしまいたい

 

そんな事を考えてる日々。

 

再起

 

精神科を退院してから3ヶ月が経った。

あの後、私は仕事を辞めた。

 

 

 

「患者の急変対応ができるようになりたい」

そう思って一般病院の外科に行った。

挿管の介助もできるようになった。

 

また沢山の患者さんと出会った。

 

命を削ってまで生きたいと

再発するガンに対して化学療法や手術をして

必死で生き延びようとする人達がいた。

 

そんな患者さんを看護する日々で

自分がしたい事は何だろうと

自問自答する毎日。

 

精神科で患者さんの

気持ちに寄り添える看護師になりたい。

 

その思いが消えたわけじゃない。

 

でも、人の人生の最期に関わって

「いい人生だったと」思ってもらえるように

人生の最期に花を手向ける

緩和ケアの看護師にもなりたいと

思うようにもなった。

 

また、身体疾患による精神的苦痛に介入する

リエゾンの看護師にもなりたいなんて

思うようにもなった。

 

そう考えているうちに

私は何のために生き延びたのかと

また思考の泥沼に堕ちる。

 

 

 

あれ以来自傷行為はしていない。

 

瀉血したい衝動に駆られることはあるけれど

何とかやり過ごしている。

 

誰の役にも立っているわけでもないのに

のうのうと生きている。

 

そんな日々だ。

 

 

 

ジキルとハイド

 

「もうしんどいんです」

 

巡視に来た看護師の私に

彼女は言った。

 

丁度、精神症状が悪化して来た

彼女に

何と言葉を返して良いか分からず

ただ話を聴く事しかできなかった。

 

たった、3ヶ月前の事だ。

 

 

 

8月11日

午前1時

私は精神病院の開放病棟にいた。

 

看護師としてではなく、

患者として。

 

何がどうなって

ここに立っているのか

訳が分からなかった。

 

ただ、自分の正中の静脈に

ニードルを刺して

4日で2,000ml血を抜いただけだった。

 

看護師が淡々と入院の説明をする。

 

全く頭に入らず、

「どこで人生間違えたのか」

それが頭の中を渦巻いていた。

 

 

 

入院して3日、

新しい主治医も決まり、診察も受けた。

 

「こんな事したら命が危ないって

看護師なんだから分かるでしょ」

 

と言われた。

 

「うるせえヤブ医者、

自業自得な事ぐらい承知だわ。」

 

何て、言い返す気力もなかった。

 

看護師を見ても、

患者を見ても涙が溢れた。

 

「数日前まで私も患者さんの役に立つ

看護師として働いてたのに」

 

看護師達が羨ましかった。

 

こんな状況に自分を陥れたのは

自分自身なのに。

 

診察室から暗い表情で出て来た私に

声を掛けてくれた看護師がいた。

 

私はその看護師に思いを打ち明けた。

 

心が少し軽くなった。

 

それと同時に、

「今まで自分は看護師として患者さんに

何をしていたんだろう」

と考えた。

 

もっと患者さんを観察していたら

もっと声をかけていたら

もっと患者さんの気持ちを考えていたら

 

自分の看護師としての未熟さと

驕りに気づいた。

 

今なら、

患者さんにもっといい看護が出来そうだ。

 

だから、今は一日でも早く

職場復帰をしたい。